本格始動。。。

メンバー紹介

ここでちょっと、バンドメンバーと周囲の人達を紹介。
個人情報云々が騒がれる昨今。なるべく実名を伏せておくため、当時の呼称とは一部異なるワケで(・・っとか書いても知らんってね^^;)

まーすけ Zephyrのドラマー。 走り癖が魅力だったwが後期、ナーバスな練習でパワーアップ!
アベちゃん Zephyrのベーシスト。 異色な魅力を持つ。 自律神経失調症で薬を手放せなかった。
アラミス Zephyrのヴォーカリスト&ギタリスト。 事実上のリーダーであったのかと…。 才児。
ライチ Zephyrのギタリスト&ヴォーカリスト。 私です(^^)v  勿論、「ライチ」と呼ばれたことは一度も。
やま Zephyrの初代キーボーディスト。 愉快な奴。 バンド以外でもよく一緒に遊んでた。
おねぇ Zephyrの二代目キーボーディスト。 譜面スラスラ読みながら弾けるのはうらやましい。。。
チャッピー ベースのアベちゃんを連れて来た。 ライブ等では、裏方的な協力もしてくれた。

オリジナル曲は、アラミスと私が それぞれ作詞・作曲・編曲していた。
デモテープを作成してメンバーに渡し、耳コピーで覚え、スタジオ練習で合わせる。
基本的には、自分の作った曲を自分で歌う。ギターソロも自分で弾く。
そんな適当なスタイルでやっていた。


ガガサコウキ
相変わらずデモテープ作りと言えば、前述のろけんろー奥義(ラジカセ多録)によって行なっていたが、リズム系には投資が必要であった。
さすがにバンドのデモテープで 打楽器革命 …ってワケにも行かず、私は、リズムマシーンを購入した。
(ただ単に私が、欲しかっただけだという話もある・・)
BOSS(Roland)のDr.Rhythm。 今となっては大した代物じゃぁないが、当時は非常に重宝し、可愛がられた。
デモテープ作成には欠かせない、頼りになるナイス・ガイであった。
いつしか このリズムマシーンは「ガガサコウキ」と呼ばれるようになった(略称で「ガガサ」とも呼ばれた)。
まーすけのフルネーム(漢字)をバラバラにして組替えると、そうなる。 まーすけの分身ってことか?(^_^;)
一応プライバシー保護のため、名前に関する突っ込んだ説明はヤメにしておこうw
今後暫くの間 ガガサは大いに活躍するのだが、最初にして最大の活躍といえば やはり、 「Zephyr Original」の作成であったろうか?


Zephyr Original
バンド結成から1年以上が経過し、オリジナル曲もそれなりの数が揃っていた。
ここらでひとつ、結果を残さねば!
かくして、1stアルバム(なのか!?) 「Zephyr Original」 の製作が始まった。
・・と言っても、レコーディング・スタジオを借りて・・って、そんなお金があるはずもない。
バンド結成翌年の5月、ゴールデンウィーク。
私の住む六畳一間のアパートがレコーディング場所となった。
場所が場所だけに、ドラムセットを持ち込むとか、メンバー全員集まってとか・・それはちょっと無理な相談であった。
結局 アラミスと私、二人でのレコーディング作業となるのだが、やま、チャッピー、さっちゃん(後述)たちの協力によって、私の部屋には様々な機材が寄せ集められた。
「やろうぜ〜」なんて軽く言い出してはみたものの、フタを開けてみれば 結構な大仕事。
手持ちの曲を全て収録するのか?
まだ煮詰めていない曲は、この場で煮詰めて収録すべきか?
曲順はどうするのか?
課題が山積みの中、収録が決定している曲から順にレコーディングに取り掛かることにした。
先ずはガガサへリズムを打ち込み、MTRでカセットテープへ録音。
続いてベース、ギターを録音。
MTRは4トラックなので、必要に応じてトラックダウン作業を数回行なうことになる。
最後にヴォーカルとコーラスを入れて、マスターテープが完成する。
上手く弾けなくてナーバスになったとか、歌入れで60テイクかかったとか・・・
過酷な日々であった。
ハプニングもあった。
突然の悪天候の中、バイクでやって来たアラミスがずぶ濡れで 作業どころじゃなかったとか。
作業が深夜まで長引いて 機材に囲まれて雑魚寝とか。
思った以上にカセットテープが大量に必要で、出費が嵩んだとか。(当時、テープは高かった)
最後に、曲順を決定してミックス・ダウン。
Zephyr Original のカセットテープが完成した!
ゴールデンウィークなんぞ、もうとっくに終わっていたさ!
・・まぁ好きでやってんだから文句はない。
このテープが基本形(まさにオリジナル)となり、Zephyrの演奏が整形されていくことになった(のかな?)。


バンド合宿
その年の夏。 我々は、バンド合宿 の話で盛り上がっていた。
アベちゃんの親戚(?)のお医者さん(?)が リゾート地に別荘を持っており、格安料金で使わせてくれるという。
夢のような何とも楽しい話だったが、楽しいのは話だけではなく、ホントに楽しい合宿であった。

合宿当日は快晴。アベちゃんが調達して来た車に機材を積み込み、別荘地へ向けて出発〜!!
別荘地は、ログハウスであった。「すげぇじゃん!」歓喜の声。
有頂天になりつつも、車から機材を降ろしセッティング。
ギターやベースは アンプをコンセントに突っ込んで 楽器を繋げば終わりだが、ドラムは大変!
まーすけに従って、みんなで組み立てる(邪魔していたという説もある)。
セッティングが終わったら、鳴らしてみたくなるのが親心ってもんさねぇ!
一発みんなで鳴らしてみる。
アベちゃんはカメラを持って来ていた。・・ってことで撮影。
まーすけはビデオカメラを持って来ていた。・・ってことで撮影。
・・っと一通り、合宿開始の楽しさを 身体で表現する我々。

夕暮れ時、近くの店へ食料を調達に出かける。
テンションの高い我々は、店のおばちゃんとの会話も弾む。
 「俺たち、合宿に来てるンだよ!」
 「へぇー、バスケット・ボールの?」
 「・・なんでバスケットって思うわけ?」
 「何となく・・」
  − 弾んどらん −

冷凍食品を中心に、とにかく肉製品を買い込む。
(あれ?米も買ったのかな?持参かな?覚えてない)
 「やっぱりさぁ、野菜もあった方がイイと思うんだよね・・」
 「いや、肉があれば大丈夫!」
問題解決が期待できそうもない会話もあったが…結局、野菜は買ったのか?
別荘へ戻ると、夕食の支度。
別荘には必要な物が揃っていた。
冷蔵庫、炊飯器、電磁調理器、鍋類、食器類、まな板、包丁…。
食事当番を決めたんだったかなぁ? 忘れた。

食事の用意といえば、伝説の(?)フライパン踊りが炸裂したのは この合宿である。
アラミスは、フライパンで冷凍食品(コロッケか?メンチカツか?そんなようなもの)を焼いていた。
・・が、フライ返しが見当たらない。
それならば!ってんで、片手でフライパンの柄を持ち、フェンシングさながらのポーズで手首を返す。
 「ハッ!」
冷凍食品は宙を舞い、裏面を上にして キレイにフライパンに回収される。
 「おぉー!」拍手喝采。
これに気を良くしたか、アラミス! 今度はビデオカメラに向かってフライパン踊りを披露。
・・さて。心が満たされたところで、皿の上には "踊り疲れ横たわる" 冷凍食品。
美味しくいただく。 そして腹も満たされるのであった。

夕食後は練習。
夜遅くまで。隣接する家がない、別荘地のなせる技である。
実際の演奏を録音し、演奏風景を撮影し、入念なチェックを行なった。
(・・と書くと、カッコイイね)
練習は この合宿の 最大の目的ではあるのだが、地道で 真面目で 話としては つまらないので・・・割愛させていただく^^;

練習後は、思い思いの時間を過ごす。
風呂にはサウナも付いていた。
私はサウナが不得意(倒れそうになる)なので 恩恵を受けてはいないが、至れり尽せりだ!
高い天井を見上げると、頭上には 大きなロフトがあり、そこに布団を敷いて就寝。

翌日も快晴〜 この年の夏は、夏らしく暑かった。
しかし暑さにも負けず、日中も練習あるのみ!!
たかだか丸1日の合宿で、演奏力が格段に上がるワケはない。
・・ワケはないのだが、お互いのクセを掴んだり、意識統一みたいなものができたんじゃないか?
と思っている。
誰かのミスに引っ張られて演奏がSTOPしてしまうようなことがないように・・とかね。
暗黙の了解?

楽しかった合宿も終わろうとしていた。
機材をバラし、車に積み込み、お世話になったログハウスを簡単に掃除し、車に乗り込み、別荘を後にした。
車は定員6〜8人のバン。運転手は、まーすけ。他の3人は後部座席に陣取り、修学旅行かバス遠足の子供らのように、ワイワイ歌い始めた。
人間カラオケの演奏付きで、そりゃもう大騒ぎさっ!
さすがに 「おめぇら、ちとウルせぇぞ!」 と、まーすけ(^_^;)
そんなことをしている間に、まーすけの家に到着した。
ドラムやら荷物を降ろし、ここでサヨナラ。「お疲れさん!」
運転手はアベちゃんに交代。
さすがにもう騒いだりはせず、おとなしく合宿を振り返っていた。
次にアラミスの家に着き、私の家へ向かう頃には、殆ど会話もなくなった。
どっと疲れが出て来たのだ。
傾きかけた太陽が、よりいっそう疲労感を増幅させる。
アベちゃんは 私を降ろした後、きっと泣きそうになりながら帰ったに違いない。。。
こうして有意義な合宿は幕を閉じた。


ライブ前夜
長い夏休みが終わり、秋風が吹き始めていた。
大学祭の季節。 講義は休みだし、非常に有り難い。
今年は、Zephyrの「ミュージック・フェスティバル」への参加が決まっていた。
ライブ・デビューだ!

さて、デビュー前夜の話。
高校時代の友人(A)が、突然現れた。
 「遊びに来たよー。車買ったさ!ドライブしよー」
明日のデビュー・ステージに向けて 思うところもあったのだが、まぁ、久々の再会でもあるワケだから。
私は車に乗り込んだ。
そいつは高校卒業後、2年間学校に通い、この年から社会人となったのだった。
田舎モン二人で札幌をドライブ!
行く先は、別の大学に通う高校時代の友人(B)宅。 そんなもんだw

ピンポーン・・ 部屋のチャイムを鳴らすと、泥酔した男が出て来た。
そう、そいつは一人、部屋で酒を飲んでいたのだ。
 私:「な〜に淋しいことしてんのよ!」
 (B):「・・ん、あ、どした?突然…」
 (A):「車買ったから、ドライブがてら遊びに来た」
イヤな予感がした。そして的中した。
(B)の眼がキラリと光り・・・
 「ホントか?どら!見せてくれ」 ・・・ 3人で外へ出た。
 (B):「ちょっと運転させてくれや!」
 私:「お前、泥酔してんだろーが!?」
 (B):「大丈夫だって!」
 (A):「・・・」
私は(A)が、「ダメだ」と言うのを期待していた。
車のオーナーである(A)が言えば、さすがの(B)も断念すると思っていたからだ。
しかし、運転席に乗り込む(B)を横目に、(A)は助手席に乗ってしまった。
成す術なく、私も後部座席へ。
 (B):「この車って何キロ出んのよ?」 ・・と言いながら、アクセル全開。
人通りも交通量も無いような 細い真っ直ぐな道だったので、少々安心していた。
 「ここでスピード出して、満足したら車を降りるだろう・・」

しかし、予期しない展開が待っていた!!
スピードは頂点に達しておらず、加速は続く。
そして、真っ直ぐな道の先はT字路であることが判明!
T字路の先は沢にでもなっているのか?
ヘッドライトに照らされて、ガードレール越しに 生い茂る木々の枝葉が 映し出された。
まさに崖っ淵。絶体絶命であった。
(B)は、アクセルを踏み込む力を緩めなかった。
いや、緩める動きが出来なかった と言うべきか。
私は覚悟を決めていた。
 「みんな、ごめん・・・」
翌日のステージに参加できないと悟り、申し訳ない気持ちになっていた。

とうとう T字路に差し掛かった時、(B)はとっさにハンドルを右に切った。
タイヤを鳴らし、車は大きく傾き、肩や頭を何度か打ったが、無事のようだった。
気付くと、車は徐行していた。
3人は無言のまま固まっていた。
重苦しい空気が充満していた。
 「死んだと思っただろ?」
後部座席から声を掛けると、(B)は苦笑し、緊張が少しほぐれた。
・・その後のことは、覚えていない。


ライブ・デビュー!
私は、"清々しい緊張" の朝を迎えた。
昨夜の出来事がウソのように。
ギターのチューニングを確認、曲順の確認、忘れ物の確認・・・と落ち着かない。
高ぶる気持ちを抑えながら、閲覧室へ向かう。
メンバーと話していれば、平静を装えた。
全くもって「チキン野郎」であった^^;

結論から言うと、ステージ上での記憶は殆どない。
覚えていることと言えば…
 客席には数人しかいなかったこと、
 演奏に必死でギターのフレットから目を離せなかったこと、
 練習の時はもっと上手くできたのに〜と思ったこと。
そんなもんだ。
それでも、大きなハプニングもなく ライブ・バンド・デビューを果たした。
これも恐らくは、夏の合宿の成果なのであろう。
あの合宿がなかったら、我々はどんなに悲惨だったか!

ステージ終了後、テープを受け取る。
ライブ演奏の様子は、あらかじめ預けておいたカセット・テープに収録してもらえるのだ♪
早速みんなで私のアパートへ行き、心躍らせながらテープを再生!
先ず、1曲目の途中から録音されていることに怒る。
 「頭切れてるよー!」
次に、各楽器の音量バランスの悪さに嘆く。
 「ベースの音聴こえない〜」
 「コーラスも入ってない〜」
ヴォーカルの外しっぷりに笑い、ギターソロのミスを悔やむ。
・・喜怒哀楽劇場。
因みに今回、曲目を確認するため 久々にテープを聴いたワケだが・・・。
耐え難いものがあった。
演奏が未熟なのは、百歩譲って「微笑ましい」・・と笑って許そう。
お粗末なPAの影響も被ったし、聞こえ栄えしないのは仕方ない。
しかし、私の歌唱力だけは許せない! 最悪だぁ〜
できることなら過去に舞い戻り、ステージから引きずり降ろしてやりたい。
「Zephyr Original」の作成中は 気付かなかったが、この時 既に 答は出ていたんだろう。
「うちのバンドのヴォーカルは、誰なのか?」




周囲には音楽野郎共

取り巻く環境は、漫画のようでもあった。
私の周囲には、「個性的」という言葉で片付けるには勿体無い輩が沢山いた。


電撃Z号

陸上部に友人がいたのだが…まぁ「さっちゃん」としておこう。
この「さっちゃん」という男。
真面目で非常にイイ奴なのであるが、テンションの高低が激しい。
ハイ・テンションの時は、手がつけられないw
彼のジョークは、時として暴走し、誰もついて行けなくなる。その暴走ぶりは凄まじい。
いつしか彼は、「ファイナル・ウェポン」の異名を持つことに。。。

さて。
さっちゃんの友人で、同じ陸上部に バンドをやってる「七☆」という奴がいる、
という話を聞いた。
数日後に、学食(学生食堂)で見かけることになるのだが・・・。
この「七☆」という男。
背は高く、細身だがガッチリしている。古着風のGジャンを着、髪は・・・
一見、普通のヘアスタイルだったが、側頭部は こめかみの辺りまで(あるいはもっと?)刈り上げられている。 そう。モヒカンなのだ!
眼は、何処に焦点を合わせているんだか読み取れず、
口元には何となく笑みが。ちょっと怖い(^_^;)

彼のバンドは「電撃Z号」。
バンド名から察するに、はじめは「コミック・バンドか?」とも思ったが、七☆を見る限り 思い直すより他ないだろう。
「電撃Z号」はハードコア・バンドであった。
「ハードコア?・・あぁ、パンクね♪」と言ったら、「いや、パンクじゃない。"ハードコア"だ!」と、七☆。
あの眼で、念を押されてしまった。 ひぃぃ〜(。≧Д≦。)
大学祭のミュージック・フェスティバルでは、彼らの不思議なオーラとパワーに圧倒された。
会場の外にまで、彼の呻き声・・あ、いや…歌声が地鳴りのように響き渡る。
思わず、「七☆、マイク要らないんじゃないの?」と^^;

私の記憶は薄れてしまったのだが、まーすけによると 学際(M.F.)の「電撃Z号」を観に来た人達は、最前列でみんな 「体育座り」だったらしい。。。

普段の彼等はみんな穏やかで、”お茶目な奴ら” であった。
ある日。
学校の近所の、学生がよく利用するスーパーの駐車場に、奇妙な車を発見した。
オレンジ色の小型車で、何やら落書きされている。
 「いたずらされたのか?」
気の毒に思いつつ、落書き車に近づいてみた・・・
黒いマジック(?)で 「電撃Z号」とか、他にも何やら色々書いてあるのだ。
どうやら彼等はツアー・カーを所有していたらしい。。w


JUNYA
コムデギャルソンとは関係ないw
彼もまた、音楽を愛する男であった。
確か、ビルローレンス(色はアイボリー)のギターと、Guyatoneのアンプを所持していた。
人前に出て弾くことはなかったが、レコードを聴きながら耳コピーしたり、譜面を見て練習していた。
彼はよく、ギター持参で 私のところに遊びに来たし、私も持参で遊びに行った。
彼はバイク乗りでもあり、背中にギターを背負ってバイクにまたがったその姿は、TVから飛び出したヒーロー物の主人公のようでもあった(^^)
 「これ弾いてみて!すっげー難しいんがー。もう、指つりそうになるんでー」
…と、独特の口調で 私にレコードを聴かせる。
彼は主に、洋楽を好んで聴いていたのだろうか?
ヴァン・ヘイレンやTレックスなんかを聴いてたなぁ。。
彼のお陰で私も少なからず洋楽の影響を受けたのかな、と感じている。

深夜〜明け方まで、彼と話すことが多かった。
TVを観ながら、煙草を吸いながら・・・
(何故かニュースステーションやドラゴンボールをよく観ていた^^;)
他愛のない話から、哲学的、精神的、社会的な話まで。
そんな中から、「Heavy Talking」という曲が生まれた。
Zephyrのカラーとは違っていたため、お蔵入りとなってしまっているが。。。

数年後。私は、なかなか曲が作り出せないで喘いでいた。
1日にして1曲を作り上げるような日々は、もはや昔話であった。
ギターを手に キャッチ−なフレーズを探っていると、いつしかJUNYAが「弾いてみて!」と言ったフレーズを弾いていた。
そして、起死回生(というか、威信を掛けた…は言い過ぎか)の1曲が生まれたw
Jump up New York alley
文法的にどうかは置いといて・・・ご覧の通り、各単語の頭文字で「JUNYA」になる。
ニューヨークの裏通りが、どんなんかは知らない。
マイケル・ジャクソン の ビデオクリップ や、トムとジェリーの路地裏の光景が、私にできる精一杯のイメージだ^^;
この曲、遊び心が出発点ではあったが、完成形までは波乱続きであった・・・。


デン
ギター持参でやって来る奴と言えば、デン もそうであった。
こいつは…社会のルールをナメた、ハチャメチャな野郎だった。
ハチャメチャぶりに関しては、あまり語らないことにする(^^;)
かつて私が、友人の弾くギターに感化されたように、デンも私のギターに「いいなーかっこいいなー。教えて、教えて!」と、擦り寄ってきた。
デンのギターは見る見るうちに上達した。
「シーナ&ロケッツ」や「ストリートスラーダーズ」を好んで聴いており、彼等の曲をコピーするべく 日々練習していたようだ。
やがて「Friction Drive」というバンドを結成し、Last GIG in Messe Hall にもブッキングしていた(…と思ったなぁ、確か)。

彼はハチャメチャな律儀者でもあった!
ある日、外出先からアパートに帰ってくると、玄関先に何か置いてある。
「ハッピーバースデイ」のメモがあり、デンの名前が。 その日は私の誕生日であった。
そういやぁ数日前、「もうすぐ誕生日だ」と話したかも知れない。
品物はジグソーパズル(完成品ではあったが^^;)や、キーホルダー・・・。
ちょっと唖然とした誕生日だった。

大学卒業後には、こんなことも・・・。
我々はみんな、卒業後も結構 一緒に遊んでおり、ある夜みんなで札幌(すすきの)の居酒屋で飲んでいた。
その頃、デンは網走に住んでいたので、残念ながら出席できず。
宴は「デンのハチャメチャ話」で盛り上がっていた。
誰かが、酔った勢いでデンに電話し始めた。
 「おー、何やってんのよ?もう飲み会始まってるんだぞ!早く来いや〜」
 (周囲大爆笑)
ところが!
 「今から行くから、着くまでそこで待ってろよ!」と、店名と住所を要求してきた。
しかも数時間後、本当に来やがった!
網走−札幌の距離や交通手段、所要時間については、別途確認してみてください。
因みに時間帯は深夜でした^^;


トオル君
話は遡り、18歳になる年の春。
私は2年間通った高校に別れを告げ転校したのだが、行った先のクラスに一人、小柄で長髪の男がいた。
なんだかよくわからんが、彼は非常に強いオーラを発していた。
ヘビメタ・バンドのヴォーカル&ギターをやっていて、色んなオーディションやらイベントに精力的に参加していたようだ。
彼は、プロを目指していた。
おじさんもおばさんも、じぃちゃんもばぁちゃんも、町のみんなが彼を知っていたみたい。
(田舎だったし^^)
 「あの、音楽やってる、トオル君でしょ?」
そんな彼であったから、学校祭での演奏を楽しみにしていたのだが・・彼はPAに徹し、自らがステージに上がることをしなかった。
今思えば、プロを目指す彼にとって 学校祭では熱くなれなかったのかも知れない。
残念であったが。。
学校祭当日、私はアコギを抱えて野球部の友人と共にフォーク小僧となり、ステージに上がった。
ステージ上から見えた、PA機器を操る彼の姿を、今でも覚えている。

ステージ終わって、教室へ。
学校祭期間中は、教室もイベント会場となる。
我がクラス(いや、隣のクラスだったかな?)は、ライブ喫茶となっていた。
教壇で作られた小さなステージの周囲に、机や椅子が散りばめられている。
・・でも誰もいない。 盛り上がってないみたい^^;
ステージの余韻を引きずりながら、淋しく置かれていたギターを手にする。
と、そこへ何故かトオル君が登場。
 「(さっきのステージ)良かったんじゃない?」 と、労いの言葉。
 「なんか弾いてよ。楽しみにしてたのに、やんないんだもんなぁ」 と、返す。
そしていつしか、最初で最後の 彼とのセッションとなるのだった。
私にとって、初めての即興でのセッション。
「決め」なしの面白さを知った瞬間であった。
適当に歌っても、適当にハーモニカ吹いても、巧みにギターを合わせてくる。。
こんなやつが、同じクラスにいるなんて! と、思ったさ。

高校卒業後、彼は上京。 音楽の専門学校に通う。
後に聞いた噂では、TVに出たとか、CDリリースしたとか、挫折と苦悩の末にゴスペルシンガーへ転身したとか・・・。
web検索すると、数年前までは活動していた様子が わかるのだが、最近はどうしているんでしょう??