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序章

衝撃的な出逢い

14歳の秋。
私の通う中学校では、学校祭ムードが高まっていた。
そんなある日、級友がギター持参で登校して来た。
 「えーお前、ギターなんて弾けんの?」
 「少し・・」
兄貴の影響で始めたらしいが、普段そんな様子も見せなかったよなぁ・・・
奴は、ジャラ~ン・・っとコードを鳴らした。
全身を稲妻が走った!
今度は器用に指を動かし、アルペジオで弾き始めた。
全身に鳥肌が立った!
全く…奴には不意打ちを喰らっちまった。何とも衝撃的なギターとの出逢いであった。

ショック!


赤いエレキギター
基本的なコードの押え方を教えて貰った私は、家に帰るなり押入れを漁り出した。
父のエレキギターがあるのを思い出したのだ!
曰くつきの赤いエレキギター。。。
私は小さい頃、壁に立てかけてあったエレキギターに興味を示した。
もしや天性の音楽魂が覚醒し、一気に才能が開花するのかぁ~!?
 「ミサイル発射!」
 「xx光線発射!」・・
・・そう、子供の私は 合体ロボット を操縦していた。
ツマミやスイッチが沢山、アームまでついている。
弦を弾けば効果音にもなる!(素敵だ~)
 「前方、ミサイル接近!」
 「よし回避だ!」
操縦桿(アーム)を握る手にも力がこもる!
・・・バァ~ンッ!!!
合体ロボは倒れ、操縦桿が…折れた…。
状況を悟った私は、合体ロボのパイロットから 一瞬にして普通の子供に戻った。
その日以来、合体ロボが出動することはなかった・・・。


ギター購入計画
脇道に反れたようだ(-_-;)
私はギターを手に入れたいと強く思っていた。
そう。 赤い合体ロボではなく、アコースティックギターが欲しいのだ。
しかし、2万円はするような 中学生にとっては高価な代物だ。
親を頼るより 他に道は無い。
交渉の結果、「スタンプシールを台紙に貼り、それで手に入れろ」 と。
買い物をすると、その額に応じて貰える、あの スタンプシール だ。
そいつを専用の台紙に貼って、カタログから商品を選び、店に持っていく。
どんなんだったか忘れたけれど、今でもあるのかなぁ? スタンプシールって・・・
ギター入手の日までは、赤いロボが練習相手であった。。。


血のにじむような・・
ある日、学校から帰ると 待望のギターが届いていた。(やったー!)
早速、厳重な包装を引っ剥がし ギターを取り出した。
焦る気持ちを抑えながら、先ずはチューニング。
そしてついに! 一番初めに覚えたコード(Em)を、ジャラ~ン。。。最高です♪
その日から、毎日夢中で弾きまくり!
どんどん上達するのが、自分でも判る。 楽しい!嬉しい!
1日5~6時間以上の練習なんて当たり前~
私の指先からは血が!?
血のにじむような…とか言うが、あれは本当だった。


受験地獄(-_-;)
衝撃的なギターとの出逢いから1年が経とうとしていた。
去年は見ていただけの学校祭・有志発表に、今年は出てやろうと目論んでいた。
それにはやはり練習あるのみ!
学校から帰るなりギターを手にするのは、もはや習慣。
しかし、ある時。。。ついに母が痺れを切らし、「ギター禁止令」が発令された!
私は自らの手で、ギターをケースに入れ 封印したのだった・・・(T_T)
いかにも。 私は受験生。
ギターなんぞに明け暮れている場合ではないのだ!
こうして学校祭・有志発表デビューの夢が半ば絶たれた私は、受験生になりすました。
「なりすました」 だなんて… 人聞きの悪い!!!
え?親の目を盗んで封印を解いたんだろうって?
とんでもない!そんな悪い子じゃありません(-。-)
私は、親の目を盗んで合体ロボを出動させただけ~ (どっちが悪い子かは微妙)
何れにしても、学校祭デビューへの夢は捨てていなかったワケだ。

合体ロボ


感謝~
なりすましたとは言っても、受験生であることに変わり無し。
それに、目を盗めない状況の方が圧倒的に多いワケで、それなりに受験勉強も捗っていた。
学校祭を数日後に控えた、ある夕食の時。
母が「ギター禁止令解除」を口にした。
学校祭デビューを配慮してのことだったんだろうか?
学校祭デビューの話、直接 親にした覚えはないのになぁ・・・
いやぁ この時はホント、親に感謝~ m(_ _)m
練習は合体ロボでイイとして、学校祭本番は友人からギターを借りようか・・
なーんて考えていたもんで。。。
 「但し、勉強もしないと 今度はギターを叩き割って燃やしてしまうからな!」
…と、父の過激な発言。 ひえぇ~(≧o≦)
こうして少々波乱含みではあったが…無事に学校祭デビューも果たし、受験も乗り切ったのだった。
因みに…私の住んでいた町はホントに田舎で 受験戦争とは縁遠く、普通に授業を受けてさえいれば合格できるような高校受験でした~
両親は、ぬるま湯で育ったままの大人にならないように喝を入れたんでしょうね。
きっと・・・。




ろけんろーらー覚醒!

楽しさの限界

譜面を見て、曲を聴いて、完コピ目指しても 何処か空しい・・・
めでたく高校へは進学したのだが、コピーの完成度を競っていた友人達とは離れてしまった。
楽しさの限界。 このままギター熱は冷めてしまうのか!?
いやいや・・そんなワケはない!
気が付けば、私は自分で曲を作るようになっていた。
何がキッカケで曲作りを始めたのか、今となってはもう覚えちゃいない。
詞を書き、ギターでコードを弾きながらメロディを付ける。
出来上がったらテープに吹き込む。
練習の毎日は、いつしか創作の毎日へと変貌した。
・・そんな大袈裟なモンじゃないか(^^;)


ろけんろー奥義!
1日に1曲。 日記でも書いているかの如く、曲を作る。
作曲活動なんてーのとは程遠い。ゴミのようなモノばかりが出来上がる。
しかし、中には自画自賛したくなるような、キラリと光る曲も生まれる。
そんな時は、何日も掛けてメロディを整え、ギターのアレンジも考えたりする。
イントロや間奏も欲しくなる♪ サビの部分では、ハモリなんかも入れたくなる~♪
・・・ひとりじゃできない(T_T)
ギターソロやハモリの入った曲をテープに吹き込むには、あの奥義を繰り出すしかないのだ!
 「ろけんろー奥義、多重録音!」
2台のラジカセを巧みに使い、ノイズに埋もれながらも見事に 独りセッション を実現!
この奥義によって私は、ろけんろーらーとして覚醒することになるのだった~!!(^^;)


奥義の原点
話は、またまた幼少期に遡る。
家にはラジカセが1台あった。 テープの再生は勿論、録音も可能。
子供の頃は何でも楽しい。 妹と二人で自分たちの声を吹き込み、再生しては笑っていた。
そんな中で、こんな遊びを編み出した。
あらかじめこんな録音をしておく・・・
  「もしもし、△△ですが ○○さんのお宅でしょうか?」
  「(空白時間) ・・あ、どうも!先日はありがとうございます~」
  「(空白時間) ・・ええ、そうですね。」
  「(空白時間) ・・あぁ、そうですか!」
   -- 中略 --
  「それじゃどうも、失礼します~」
そう。電話のやり取りの片方だけを録音しておき、それを再生しながら会話を成立させる。
タイミングがズレた時や 会話が噛み合わない時には、笑いが生まれる。
考えようによっちゃぁ高度な遊びだw


キラキラ・ヒラヒラ
17歳の夏。
「曲を付けてくれ!」 友人が、自分で書いた詞を持ってきた。
タイトルは… キラキラ・ヒラヒラ (?)
詞の内容は、概ねこんなんだった・・・

    キラキラ 夢はキラキラ ヒラヒラ 心ヒラヒラ

  あなたと私二人で 朝の山々ハイキング
  いつもそうなのムードが無いの
  そっと抱きしめてキスして欲しい
    少女の夢はキラキラ あなたと二人ヒラヒラ

  あなたと私二人で 夜の街角ダンシング
  踊りつかれたサタデイ・ナイト
  何も言わないであなたにキスした
    キラキラ夢はキラキラ 私の心ドキドキ

この屈託のない、ましてや何のひねりもない ストレート勝負な詞。
しかし、この詞は明らかに楽曲を意識して作られていたのだった!
先ず、「キラキラ…」や「少女の…」で始まる部分は、サビを意識している。
「あなたと私二人で…」で始まる部分が2箇所あるのは、1番と2番があることを示唆している。
これは作詞者が作曲者に対し、「こう作ってくれ」と暗黙の要求を出しているのだ。
しかしまぁ、これくらいは驚愕に値しない。 フツ~フツ~
では次を見てみよう・・・
「いつもそうなの」と「踊り疲れた」、「そっと抱きしめて」と「何も言わないで」。
目立たないが、1番と2番で相対位置にある詞の文字数(発音数)が同じである。
更に。「夢はキラキラ」と「心ヒラヒラ」、「朝の山々」と「夜の街角」、「ハイキング」と「ダンシング」。
これらの言い回しは、文字数(発音数)だけでなく ニュアンスを統一し、韻をも踏んでいるのだ!
そして歌い出しは、何と! サビから始まるという 粋な演出が施されているのだった!!!
・・・かくして、陽気なルンバのリズムに乗った、ポップな曲が出来上がった。
因みに、詞を持って来た彼は 柔道部員であった。
体育会系…侮れない!  (かくいう私もテニス部であった・・^^;)





打楽器革命!?
シンプルでアコースティックな音楽生活が続いていた。
キライじゃないし、むしろ好きであった。
しかし、そこは多感な10代。 刺激が欲しい年頃である。
心がビートを求めていたw
家にはエレクトーンがあり、私は 必然的にリズム系も含めて活用するようになっていた。
しかし、陽気で賑やかに チャカポコと軽いノリを繰り出す エレクトーンのリズムBOXは、時として扱いにくい。
もっと ルーズなリズム、チープなリズムが欲しいんだがなぁ。。。
低音の効いたバスドラムと、乾いた音のスネア。
それだけあれば十分なんだがなぁ。。。

目の前にあるモノを 片っ端から叩いてみることにした。
空き箱をひっくり返し、底を叩く。 箱を叩いている音がする(-_-;)
座布団を二つ折りにし、力強く手のひらで叩く。
バスドラを彷彿させる低音は得られたが、安定しない。
第一、体力が続かない。 おまけにホコリっぽい(-_-;)
自分の太ももを叩く。 痛い(ToT)

・・数日後、何気なく見ていたギター雑誌に、こんな珍奏法が!
指板上で弦と弦の間にピックを挟み、そのまま半回転ねじる。
ピックを挟んだ2本の弦を弾くと、あら不思議♪ リズム系の音がする。
バスドラは、サウンドホールの脇のピックガードのある辺りを指先で叩く。
ドラムの音か?は微妙だが、一先ずこれで ルーズでチープなリズム・セクションは確保されたワケだ。
ギターが打楽器になった、革命的瞬間であった。


致命傷(≧△≦)
18歳の冬、私は致命傷を負ってしまう。 (いや、命に別状はない・・)
それは寒い寒い冬の、体育の授業中。 我々は、バスケットボールをしていた。
ジャンプ!! 放たれたシュートのリバウンドに跳んだ私は、空中で激突!
リバウンドに負けた私は、弾き飛ばされ 壁にも激突!
まぁ良くあることなので、気にもせずバスケットボールを続けていたのだが・・・。
次の授業中、左手の小指が ズキンズキンと痛み出した。
見ると紫色に腫れ上がっているではないか!
体育館では 寒さで手が かじかんで 気付かなかったが、教室に戻り温まったもんだから・・・。
あまり痛いので、すぐに保健室へ。
 「これは折れてるよー」
 「えぇっ!?」
 「うん、ヒビ入ってるから病院行った方がいいねぇ」
応急処置を施して貰ったワケだが、何とも緊張感のない「骨折宣告」であった。
ギターを弾くのに支障があったのは言うまでもない。
その日家に帰ると シップを貼り、割り箸で添え木を作って包帯で固定した。
病院へは、行かなかった(^^;)v
ナゼって…お金も保険証も必要だしねぇ。。
いや…ホントのところは… 骨折してるなんて、親に知られたくなかったのよ。 
骨折してるのにギターなんか弾いてたら、「何やってんの!」・・ってことになると思った次第。
「突き指したんだぁ」くらいしか言ってなかったような・・・^^;
苦労の末に私は、小指を使わない奏法を編み出したのだ!
名付けて「へっへーん、小指を使わなくたって弾けるもんね奏法」
(どうか無視して下さい)
左手小指が治るまで、暫くの間この奏法で頑張った。
・・・バカとしか言いようがない。




バンドだ、バンドだ♪

田舎者意識

高校を卒業した私は、大学進学のために札幌へ出る。
今までずーっと 海や山に囲まれた田舎で育ってきた私にとって、期待と不安の新生活であった。
私は、冗談抜きで、まったく本当に田舎者であった。
札幌へ出て来た私は先ず、コンビニで買い物が出来なかった。
私の田舎では、コンビニエンス・ストアなんぞ見たことがないっ!
「コンビニでの買い物は、どんなシステムになっているんだろう…???」
今考えれば 普通の商店と何ら変わりはないのだが、当時は不安のあまりコンビニに入ることすら出来なかったのだ。
そんなんであるからして、ファスト・フードなんかも苦手であった。
友達とバーガー喰いに行っても、
 「あ、俺も同じでいいですぅ・・」みたいな感じであった。
大体、何とかバーガー…って言われても、どんなモンが出てきて どんな味がするのか想像もできなかったしw
街(中心部)へ出れば、歩行者天国。雑踏。渋滞の交差点。
公園で踊る連中や路上で歌う奴等。
すっかり気後れしてしまう。。。
こうして「田舎者だと悟られたくない」という想いと、「都会になんて染まらねぇぞ!」という想いが交錯する日々が始まったのだった。


夢はいかが
「都会には色んな人がいる」とは聞いていたが、想像を超えていた。
真夏の炎天下。 派手に着飾った男の子、女の子。
ちょっと目立ち過ぎじゃない?ってくらい・・・。
札幌へ出てくる前から持ち続けていた 漠然とした都会のイメージが、およそ1年の札幌生活の中で具現化されたのだろうか?
ろけんろーな1曲が生まれた!
- 夢はいかが -
あまり難しいことは考えず、書いた詞に曲をつけた。
会心の作とは言い難いが、後に結成されるバンドのライブ活動では 便利な曲として多用されるのであった。
そして演奏の都度 あちこち いじられながら 「夢はいかが」は、熟成を重ねて行った。
・・のであるが、残念ながら熟成版の最終形として音源は残っていない。。


バンド結成!
バンドが結成されたのは 大学生活はじめての冬、年明け早々のことである。
周りでバンド結成の匂いがしていたのには気付いていた。
私は挙手したい気持ちでいっぱいだったが、ここは私のいた田舎とは違うのだ!
田舎では 曲作ってまで のめり込んでる輩なんて自分くらいなもので、いわば私は OnlyOne。
あ。もひとりいたな・・凄いのが^^ (まぁ後々お話しましょ)
しかしここには、音楽野郎共が溢れている。
噂ではバンド経験者がぞろぞろ・・・ お呼びじゃない(^^;)>

ところが幸か不幸か、向こう様から声が掛かった。 ひえぇ~もう大変!
ドラム、ベース、ヴォーカルorギター、キーボードの4人が集まっており、ギターがもう一人欲しいということだった。
バンドでギターを弾くだけの自信はなかったが、断るには勿体無い話だった。
それによく聞けば、募集パートはギターorヴォーカルとのこと。
ここはチキン野郎のハッタリが冴える♪
もう一人のヴォーカル候補と、何故か「どちらが高音で歌えるか」によってヴォーカルを決めることになった。
 「俺はD(レ)の音まで出せる」と彼。
 「俺はE(ミ)の音まで出る」と言い張る私。
私は見事、ヴォーカルの座を勝ち取った。
(そんなんでイイのか?オーディションとかじゃないの?)
確かに無理すりゃE(ミ)まで出たが、その音ではとてもじゃないが歌えない。
彼はちゃんとD(レ)まで出たんでしょう。
(いや…後々、もっと高音で歌っていた気がするゾ)

私はどうしてもヴォーカルがやりたかったワケではない。
ただ、ギターは…全くもって自信がなかったのだ。。。
とにもかくにもバンドは結成され、「Zephyr」と命名された。
フランス語でゼフィールと発音。西風、そよ風を意味するらしいが。。
実際、風のようなバンドであったかどうか。 それは疑問が残る・・・。


オリジナル・トレーナー
季節はもうすぐ春。バンド結成を果たした我々は、有頂天だった。
誰からか覚えちゃいないが、
 「オリジナル・トレーナーを作ろうぜ♪」 という話が持ち上がった。
ちょうど学生生協で 「オリジナル・トレーナ-作りませんか~」 ってぇのをやってたのだ。
大学の図書館の前には閲覧室というスペースがあり、そこは我々の集合場所・・・わかり易く言えば「溜まり場」であった。
いつものように閲覧室に集まり、どんなトレーナーにするか?なんぞと話していた。
色は黒。ロゴ文字は赤。やっぱりバックプリントでしょう! (なんか…いかにもです^^;)
で、字体は・・・サンプルの字体を見ても、今ひとつシックリ来ない。
「よし、俺がロゴを考える!」と、私。 2日程掛けて「Zephyr」のロゴ文字を作成した。
会心の出来栄えであった!
(後で聞いた話によると「Zephyr」と書いてるようには見えなかったらしいが…T_T)

オリジナル・トレーナーの話は、気が付けば どんどん大きくなっていた。
バンドメンバーだけじゃなく、周囲の親しい友人達も お誘い合わせの上で購入しよう~♪
…と。
希望者を募り、希望のサイズを聞いて集計し、学生生協で注文する。
(結構な数になったよなぁ。。)

数週間後、待望のトレーナーが出来上がった。
まだ肌寒いこの季節に、着て歩けるなんて最高だよね~♪
 「おーっと、このロゴ文字! 修正もされずに 俺のデザインのままじゃないかぁ。すげぇー!」
しかぁーし!!
 「でもなんか・・ん?ちょっとー!! バックプリントじゃないじゃん、これ~!?」
・・・出来上がってきたものは、背中でなはく胸の辺りにロゴが入っていたのだった。
がっかりしつつも、お金を払って注文したんだから ちゃんと作って貰わないと~ってことで返品&再注文。

数週間後、再注文のトレーナーが出来上がった!
小春日和の外出に、トレーナーがあると安心だよね~♪
今度は正真正銘、バックプリントである。
初めからこうして貰いたいものだ。
 「やれやれ、やっと来たかぁー」
しかぁぁぁし!!!!
 「あれ?数合わなくない? しかもサイズって、これ…違ってるよぉ~」
全く、漫画のような話である。
今度は他のオリジナル・トレーナーと混同でもしたのだろうか・・・(-_-;)
注文を受け付けた学生生協が悪いのか、請け負った業者が間違っているのか。
3度目の注文は念入りな確認のもと行なわれた。

数週間後、これでやっと希望の品を手にすることとなったのだが、「出来上がった~」という感動は薄れていた。
それもそのはず。 季節はもうすぐ初夏。
学生生協では、トレーナーに続く第2弾として「オリジナル・Tシャツ作りませんか~」ってぇのをやっていた。

ところで、これまでの不具合トレーナー。。。
業者や学生生協で引き取っても処分することになるだけなので、全て我々が引き取ることになった。
勿論、御代はかからない。
タダで何十着ものトレーナーを入手し、みんなで山分けした^^;
確か私は 4,5着持っていた気がする。




コピーバンドじゃダメなんだ
バンドを組んだはイイが、最初はお互いの素性がわからない。
どんな音楽を聴き、どんな演奏をするのか?
そして、このバンドはどんな活動をするのか!?
やはり先ずは 何かコピーして演奏しようじゃないか!ってんで、選曲が始まった。
それぞれやりたい曲を挙げてみたが、バラバラ。
何とかドッグ やら 何とかボーイズ やら 何とかⅡやら・・・。
取り敢えずは 耳コピするなり バンスコ用意するなりして、スタジオへ。
数回合わせてみるも、しっくり来ない。
おまけに 我が侭なことを言ったとか どこが気に入らないとか…ちょっとしたゴタゴタもあり、キーボードが脱退。
キーボードは初代が抜け(理由は覚えていない)、二代目も抜けたことになる。
こんなんで、いつまで続くんだろうか・・・先行き不安であった(T_T)
しかし今思えば、メンバーが4人になったことで統一感が出てきた気がする。
それは音楽の方向性だとか、目標だとか、そんな面倒臭いものが一致したからじゃなく、もっと直感的なものが合っていたからかも。。
(そう思っているのは私だけ? 他のメンバーはどう感じてたのかな?)
記憶は曖昧だが、確かこの頃から コピーではなく オリジナル曲に取り組み出した。
当初は譜面を書いたりしていたのだが、次第にうざったくなり デモテープの耳コピーだけになった。
そもそも私は、譜面の読み書きは あまり得意ではなかった。
・・いや、苦手だった。 それは今でも変わらないw
まぁそれは置いといて^^; オリジナル曲がコピー曲よりも楽しかったのは事実であった。


偏見
なんだかんだ言っても、我々はバンドであった。
バンドの練習は、街中のスタジオを予約して みんなで集まる。
ある練習の日。
私はギターを背負い、街中へ向かう地下鉄に乗っていた。
私は始発から乗るので、いつも座席に座ることができるのだ。
この日は、座席の中ほどに座っていた。
電車が混みはじめたので、自分の横に置いてあったギターを足の間に置きなおした。
通路を挟んで向い側は満席だ。
つり革につかまって立っている人たちも数人。
でも、ちょっと待てよ、おい! なんで、私の両隣は空席なワケ?
ギター持ってるから?バンドやってるから?前髪長いから?
自分でブリーチアウトした穴開きのジージャン着てるから?
偏見だよ~。人を外見で判断しちゃダメだよ~。
これで結構イイ奴なんだぜ!
・・淋しい思いを引きずりながら、スタジオ・イン。

少し早めにスタジオに到着した私は、受付前のソファに腰をおろしてチューニングなんぞしていた。
Aスタでは、よそのバンドが練習中。 ハードロックな音がビンビン漏れてくる。
やや暫くして音が止み、Aスタの扉が開いた。 休憩のようだ。 ・・・!?
Aスタから出て来た連中は・・・ ライオンだったw
ピチピチの黒い革のパンツをはき、鋲を打った革ジャンを素肌にはおり、髪はライオンのたてがみの如く 脱色しっ放しのバッサバサ~でマッキンキン!
ここは動物園か!? ちょっと怖い・・・。
まもなくやって来た うちのバンドメンバーが小声で囁く。
 「俺たちって、普通だよね・・」。

練習が終わり、帰りの地下鉄。
偏見だ~!! という強い想いは薄らいでいた。 やはり、外見は大切だ。
昼間見たライオンも、もしかしたらイイ奴かも知れないが・・
怖くて近寄りたくは なかったし(-_-;)
 「すみません・・」
 「いいえ、どうぞ・・」
複雑な気持ちの中、私は立ち上がり お年寄りに席を譲った。。。


続く。。